≪レディ・ツインクル!≫  ■back 
   □何行か毎の空白行は、読みやすさのためで、他意はありません。

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「そうしていただけますか。」
 イクミはディスクを差し出した。
「私で良ければ。」
 シャンデは、にっこり笑ってそれを受け取った。
「よろしくお願いします。それじゃ、私たちはこれで。」
「失礼します。」
 イクミとフィーは立ち上がった。もう一度シャンデと握手をして、彼女の執務室を辞した。

 背中でドアが閉まるのを振り返りながら、受付嬢の前まで来ると、彼女に尋ねた。
「すみません、トイレをお借りできますか?」
「どうぞ。エレベータの向こう側です。」
 童顔の受付嬢は、笑うと可愛い。こんな人も、ジェイナスを拉致したやつらの仲間なのだろうか。エレベータの前を通り過ぎて、トイレに入る。入り口で、イクミは首から下げていたパスをはずして、フィーに手渡した。幸い、入り口が少し引っ込んでいるので、受付嬢には見られない。

 フィーは、男子トイレに入ると、人がいないのを確かめた。どうやらツイているようだ。このプライベートな空間に、監視カメラなどがないことも確認済みだ。イクミのパスと自分のパスを重ねてストラップでぐるぐる巻きにすると、個室の汚物入れにそっと入れて蓋を閉めた。水洗のスイッチを押して水音がしている間に、入り口へ戻った。廊下へは出ずに、壁にもたれて待機する。

 イクミは、トイレの中を見渡した。個室は三つ。二つはドアが開いているが、一つは使用中のようだ。突き当たりの壁の、膝くらいの高さから上に、点検孔の小さな扉がある。お目当てはあれだが、イクミは、開いている一つの個室に入って、ドアを閉めた。少し待つと、音がして、使用中だった誰かがドアを開ける気配がした。

 しかし、洗面台の鏡の前から気配が消えない。化粧を直しているのだろう。待つ時間は長い。あせっちゃいけない、と自分に言い聞かせるのだが、いらいらしてくる。
 やがて、ようやく出て行く足音が聞こえた。素早く個室から出て、小扉に駆け寄って調べた。鍵は簡単な掛け金式だ。ポケットから例の電磁セラミックナイフを取り出すと、隙間に突っ込んで、掛け金そのものを切ってしまった。扉を開ける。色々な太さの配管が上下に走っている、いわゆるパイプスペースだ。頭を突っ込んで上下を確かめると、床も天井もない、吹き抜けだ。

(ビンゴ!)
 心の中で叫んで、入り口へ戻り、フィーを手招きした。フィーは、女子トイレへ入るのに一瞬躊躇したようだったが、黙ってイクミに従い、受付カウンターから見えないよう、入り口のへこみに沿って移動した。誰も来ないうちに行動しなければならない。急げ。フィーから先に配管の間にもぐり込む。管の接合のためのフランジを足がかりに、狭いのを逆に利用して、手や背中をあちこちに突っ張って体を上へ持ち上げていく。続いて入って来たイクミは、口にくわえた小さな明かりを頼りに、持って来た針金で、閉じた小扉を内側からがんじがらめにした。

 狭い暗い空間を手探り足探りで、できるだけ静かに登って行くことに夢中になっていると、何のためにこんなことをしているのか、忘れそうだ。細い隙間が見えてきた。64階の小扉だろう。横目に見て、さらに上へ向かう。一度足を滑らせた。思わず声を上げそうになるのを、必死でこらえた。65階の小扉もやり過ごし、もっと登ると、それまで垂直だった配管が、てんでに水平方向に曲がり出した。手掛かりになる手ごろなパイプがなくなった頃、もう一つの小扉らしい隙間から光が漏れているのが見えた。


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