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  □数行毎の空白行は、読みやすさのためで、他意はありません。

56 菜摘

夏休みとはいえ、補習にはみんな制服で出席しているので、校内は普段とほとんど変わらない。
クラブ活動もいつもどおりで、長期の休みだという実感が湧かない。
わかってて選んだ高校だし、覚悟してたつもりだけど、何だか損をしてる気分になってくる。
多佳子は、我ながら意志薄弱と自嘲した。
文乃を誘って、放課後の廊下を準備室へ向かう。
一晩経って、昨日の〈琅かん堂ショック〉は、だいぶ薄らいでいる。

準備室には、柚姫に連れられた菜摘が来ていた。
割と小柄で、マッシュルームカットに赤い縁のメガネが似合う、かわいらしい顔立ち。
「文乃、久しぶり。同じ学校なのに、あんまり顔を合わせることがないよね」
「確かに会わないもんだね。来てくれてありがとう。
 あ、こっちはうちのユニットのリーダー、ボクと同じ茜組の吉田多佳子」

紹介されて多佳子は、気持ちの中で思わず一歩引いた。
〈リーダー〉と言われるのは、どうもまだ慣れない。
それでも、笑顔が引きつらないように気をつけて、軽く頭を下げた。
菜摘も礼を返す。
「藤組の目時菜摘です。よろしく」
「吉田です。話はどのくらいまで聞いたの?本当に手伝ってくれる?」

「正直、迷ってる。パーカッションの経験があるっていっても、ドラムセットは叩いたことないし、学園祭用の絵も仕上げなきゃいけないし…」
あくまで掛け持ち前提で、美術部を辞めて来てくれるわけじゃないのね、とは口に出せない。
「この前の合同ライブを聴いてて、〈良いなあ〉とは思ってくれてたんですって」
柚姫が補足する。

「でも、悪いけど、一緒に演奏したいという意味じゃないのよ。ドラムが入ってないのは、かえって新鮮で良かったし。
 自分がドラムセットを担当するっていうのも、考えつかなかったの」
確かにティンパニは二台セットだったし、手も足も使うけど、リズムセクションの要っていう意識はあんまりなかったから、と続けた。
「一度試してみるくらいはお願いできるんでしょ?」
菜摘の顔を覗き込む。
「うん、一応そのつもりで」

スクールバッグから、見るからに手作りの細長い布袋をごそごそと取り出した。
スティック入れだ。
「もう使うこともないかなとは思ってたんだけど、自前で買ったのは、まだ取っておいてたの」
三組か四組は入っている。
良く見ると、中がいくつにも仕切ってあって、一本ずつ入るようになっている。
こすれ合わないようにする配慮だろう。

それなりに思い入れがあったんだろうな。
今日スティックを持って来たということは、何だかんだいっても、結構脈アリ、かも。
多佳子の期待はふくらむ。
「楽器は去年の卒業生のお下がりがあるし、手ほどきを二年生の先輩に頼んであるんだ。あ、来た来た」
タイミング良く、〈魔神天使〉のドラム担当、山野目環さんが準備室に入ってきた。

山野目さんも眼鏡をかけている。
普段は物静かだけど、演奏はパワフルでキレが良い。
菜摘を紹介して、改めて指導をお願いしてるところへ、仁保子や季依も集まって来た。
いつものように上級生の機材を準備した後、一年生みんなで使われていなかったドラムセットを運んだ。
埃をかぶっていたのを覚えていた多佳子は、今朝、きれいな布巾を用意して、ドラムやシンバルを拭いておいた。
せっかく来てくれるという菜摘に対する、せめてもの気持ちだ。


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