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  □数行毎の空白行は、読みやすさのためで、他意はありません。

57 エイトビート

「ロールくらいはできますけど、ドラムセットは初めてです。よろしくお願いします」
菜摘は、山野目さんにぺこりと頭を下げた。
山野目さんは、微笑みながら、お手本になれば良いんだけど、と、スツールに腰掛けた。
それぞれの楽器をずらして、叩きやすい位置に調整する。

「基本はエイトビート。
 右足は、バスドラムの一拍目、二拍目裏、三拍目で基礎リズムを作る」
言いながら、〈ドッ、ドドッ〉とバスドラムを鳴らす。
「左足でハイハットのペダルを踏んで閉じて、右手のスティックで八分音符を刻む。
 左手は右手とクロスして、二拍目、四拍目にスネアを叩くの」

しばらく〈ツ、ツ、タ、ツ、ツ、ツ、タ、ツ〉と基本形を演奏した後、次第にバリエーションに移っていった。
ハイハットを開け閉めして音を変えたり、ハイハットの代わりにスタンドシンバルを叩いたりは、まだおとなしい方で、やがて、タムタム回しが加わって派手に盛り上がり、墜落するように終わった。
多佳子は思わず拍手した。

「ありがとう。どう?目時さん」
「ええ。やってみます」
山野目さんと入れ替わって、スツールの位置を調整する。
ツトテンシャンとそれぞれの音を確かめ、まずバスドラムのリズムを踏んでみる。
ハイハットをつっついてみてから、ゆっくりと基本形のリズムを叩いた。

十分エイトビートになっている。
さすがパーカッション経験者、と思っていると、一度止まった。
ひとつ深呼吸をすると、速さを変えて、また叩き始めた。
アップテンポ気味のリズムに、簡単なタム回しもはさんで、軽快に演奏を続ける。
シンバルを二拍入れてフィニッシュ。

「おおーーー」
これもまた、思わず拍手だ。
「初めてなんて、冗談でしょ」
多佳子は感心しながら言った。
「うううん、ほんとに初めて。案外できるものなんだね」

「うん、これなら大丈夫。パーカッションの経験は伊達じゃないね。あとは自分で工夫すれば良いよ。
 じゃあ、あたしは自分とこの練習に戻るね。何かわからないことあったら、遠慮なく訊きに来て」
山野目さんは、にこにこ手を振って教室を出て行った。
菜摘は、もう一度スローテンポでドラムを叩いている。
とても初心者の域ではない。

ああ、やっぱり本当の初心者はあたしだけなんだ。
多佳子は、改めて湧き出した情けなさを振り捨てて、菜摘に訊ねた。
「目時さん、どう?その調子で一緒にやってみない?」
「…少し考えさせて」
菜摘は手を止めた。

そこへ、多佳子の知らない生徒が菜摘を呼びにやって来た。
「あ、こんなとこにいた。目時さん、顧問と部長が呼んでる」
美術部員らしい。
「今行きます。ごめんなさい、今日はこれで失礼するね」
立ち上がって辞去する菜摘の手に、仁保子が楽譜のコピーを渡した。

「これ、今準備できてる三曲。目を通しててくれる?
 って言っても、要所要所しか書き込んでなくて、あとは各自の自由で演奏してもらうんだけど」
にっと笑う。
「わかった」
ここで、まだ決めたわけじゃない、と拒否されたらどう説得しようかと心配していた多佳子は、菜摘が素直に受け取ってくれて、安心した。


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