≪器楽部第二器楽班≫  ■back 
  □数行毎の空白行は、読みやすさのためで、他意はありません。

39 アンコール

悠然と楽器を構え、低く高く、少し悲しげなメロディーを奏で始める。
「イザイの二番…」
文乃が小声でつぶやく。
「え? 文乃、知ってる曲?」
多佳子も小声で訊く。
「ウジューヌ・イザイ〈無伴奏バイオリンソナタ第二番〉の第一楽章」

「よく知ってるねー。あたし、初めて聴いた」
柚姫のバイオリンは良く響いた。
たった一台の小さな楽器なのに、教室全体が打ち震えるようだ。
短い曲だったけど、どっと拍手が沸き起こった。
いつの間にか、教室から廊下まで、聴衆が詰めかけている。
季依と仁保子の顔も見えた。

文乃が〈第一楽章〉と言ってたから、本当はここで拍手すべきではないのかもしれないけど、とてもそんな雰囲気じゃない。
「アンコール!」
「アンコール!」
拍手が手拍子に変わり、声が混じる。
柚姫は、満面に笑みを浮かべて、もう一度あご当てを挟んだ。
拍手がさっと引く。

今度引き始めた曲は、多佳子も良く知っている、リムスキー=コルサコフの交響組曲〈シェエラザード〉から、シェエラザードのテーマだ。
他の生徒たちも、さっきよりは曲を知っている人が多いようだ。
そちらこちらでメロディーに乗せて首を振っている。
どうやら原曲のままではなく、無伴奏でも映えるように編曲されているらしく、聴きやすい。
やがて、ピアニシモで消えるように終わった。

一呼吸おいて、再び大きな拍手が起こる。
ちょうど予鈴が鳴らなければ、まだまだアンコールが続きそうな勢いだった。
「ヒメって、すごい」
「すごいすごい」

季依と仁保子が駆け寄って、柚姫の手を取って振り回し、
「じゃ、時間だから、放課後またね」
「またね」
と、すぐに戻って行った。
多佳子も文乃も、すっかり毒気を抜かれて、柚姫に手を振って藤組を後にした。
柚姫は頬を上気させ、こぼれるような笑顔で手を振り返した。

お昼休みの騒動で、気持ちが高ぶっていたのか、午後の授業はあっという間に終わった、気がする。
「多佳子、行くわよ」
いつもと逆に、文乃が声をかけてきた。
柚姫のことも、新しいアレンジのことも、とても気になっている様子が手に取るようだ。
文乃に従って、小走りに教室を出る。

途中で藤組を覗いたけど、すでに柚姫の姿はなかった。
準備室に着いてみると、柚姫は一人で先に上級生の機材運びを始めていた。
「ヒメ、気が早い。今日、先輩たちがホントに練習するかどうか、訊いてからだよ。
 昨日教えなかったな、ごめん」
文乃が謝ると、柚姫は目を丸くして手を止めた。

「あ、そうなんですか」
「ヒメ、昼休みはごめんね。何か、ルール違反なんじゃないかなって思ってしまったけど、考えてみれば、休み時間にバイオリン弾くことに、別に問題があるわけじゃないもの。
 あたしたちの頭の方が、硬直してた。許してね」
多佳子は重ねて、昼の騒動について詫びた。


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