≪器楽部第二器楽班≫  ■back 
  □数行毎の空白行は、読みやすさのためで、他意はありません。

35 ヒメ

「ところで、八重樫さんをヒメって呼ぶよね。〈柚姫〉の〈姫〉を取ったニックネーム?」
仁保子の問いに、文乃が答え、
「ああ、何やら華族さまの末裔の家柄だそうで、言葉遣いもあのとおりなんで、初めは〈ユズヒメ〉って呼ばれてたんだけど、そのうち〈ヒメ〉だけになってしまったんだ」
「うーーん、〈ヒメ〉というより〈おひいさま〉てなイメージだけどね」
季依が勝手なことを言う。

「あたしたちが〈ヒメ〉って呼んだらまずいかな」
「季依ってば、仁保子に劣らず気が早ーい。まずは仲間に入ってくれるかどうか決まってから、考えようよ」
多佳子が突っ込むと、季依も、
「そりゃそうだ」
と笑い出す。

五校時の予鈴が鳴り出した。
「あーーっ、まだお弁当途中ーー!」
「あたしもー」
仕方がないので、残して蓋をした。
放課後片付けよう。
昇降口へ急いだ。

その放課後、多佳子は文乃と一緒に藤組へ柚姫を迎えに行った。
「文乃さん!」
柚姫は、目ざとく文乃を認めて、駆け寄ってきた。
「今日も練習を見に来てくれるなら、一緒に行こう」

文乃の言葉に、柚姫は顔を輝かせて
「待って、待っててね。すぐ支度するからね」
踵を返すと、大急ぎでスクールバッグを引ったくり、飛ぶように戻ってきた。
よほど嬉しいのだろう。
柚姫は、頬を上気させて、廊下を行く文乃と多佳子の周りを、くるくる回りながら付いてくる。

その姿は多佳子に、大好きなご主人に声をかけられた子犬を思わせた。
準備室に着くと、季依、仁保子のほか、いつものように、二、三年生の先輩たちも来ていた。
「あらー、新入部員連れてきたの?」
三年生の悠紀さんが、大きな声を出した。

まだ誘ってもいないんです、と口に出しかけた多佳子の脇で、柚姫が、
「はいっ!一年藤組に編入してきたばかりの、八重樫柚姫です!
 よろしくお願いいたします!」
悠紀さんより、さらに大きい声を張り上げ、ぴょこんと頭を下げる。
多佳子たち〈ミニム〉の四人は、面食らって二の句を告げられずにいた。

悠紀さんも驚いたようだけど、
「元気良いわね。こんな時期だから、半分冗談のつもりだったんだけど、仲間が増えるのは嬉しいわ。
 私は三年の小田桐悠紀。そっちが部長の沼山美由紀さんだから、いろいろ訊いてね」
「はい、あたしが部長の沼山、二年よ。よろしくね。他の部員は追い追い紹介するね。
 まず今日の練習、機材運び始めるよ」
沼山部長の号令で、毎日恒例の作業にかかった。


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