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  □数行毎の空白行は、読みやすさのためで、他意はありません。

26 避難訓練

ゴールデンウィークが明けた次の週には、避難訓練があった。
数学の時間が半分つぶれるとあって、多佳子は大歓迎だ。
でも、生徒全員、事前にジャージに着替え、底を洗った外用運動靴を履いて準備しているのは、ホントに訓練になるんだろうか。
三校時の数学が始まったけれども、気もそぞろだ。
教師自身、授業に身が入ってない。

間もなく訓練開始のアナウンスが流れた。
一年生は一階の教室なので、すぐに運動場に整列できた。
二階の三年生も粛々と外へ出てくる。
三階の二年生がそろうまで、まだだいぶかかりそうだし、二年生の何人かは脱出シュートの実演をするんだとか。
多佳子たち一年生は、立ったまま退屈を踏み潰しながら待っているだけだ。

校門に近いフェンスに沿って、何本かのエニシダが咲き出している。
これで雨なら〈ほろほろ…〉の歌の世界なんだけど、今日は入梅前の青空が広がって、ぽかぽか陽気。
前の方は真面目に組ごとに並んでいるけど、後ろの方はヒマに任せて、入り乱れてしまっている。
二つ向こうのクラスのはずの季依が、多佳子の隣にいる。
逆に、同じクラスの文乃や隣のクラスの仁保子は、前の方にいて見えない。

「中学のとき、同級生に聞いたんだけど、その人のお姉さんが通ってた大学で、サークル棟が火事になったことがあるんだって。
ロック研のギターだのアンプだの、天文部の大きな望遠鏡だの、演劇部の衣装だの小道具だの、みーんな燃えちゃったんだって」
季依は、避難訓練で思い出した話を話題にした。

「うわあ、それってたいへん」
「もしうちの学校が火事になって、部室が危ない、ってことになったら、おとなしくこんなところに並んでない気がするなあ」
「楽器助けに行くの?」
「あたしは行きそう」
「きっと周りに止められるよ」
「ますます行く気になるかも」

「いやーーっっ!離してえ!セバスを助けるのーー!ってみんなを振り払って、火の中へ飛び込むのね」
多佳子は調子に乗って季依のふりをしてみせた。
「セバス?」
「あ」
しまった。
「そっか、アレって、執事っぽいって思う?」

「ごめん、思ってた」
「あはは、実はあたしも」
「あはっ、良かった」
「そこ!無駄話しない!列を乱さない!」
多佳子の担任に大声で叱られた。
うつむいて、笑いをこらえた。

ようやく二年生がそろい、消防署から来た制服のおじさんの短い講話と、最後に校長の講評を聞く。
校長は、この高校の卒業生だとの噂だ。
すっかり銀色になった髪を上品になでつけ、明るい灰色のスーツを着ている。
小学生、中学生の多佳子にとって校長とは、朝礼や式典の時に、退屈極まりない話をするオッサンでしかなかった。
しかし、この校長は違った。

スピーチは短く簡潔でわかりやすく、校内至る所に出没して、生徒たちとおしゃべりを交わす。
時には威厳をみせ、時には生徒と一緒に大声で笑う。
気の置けない、楽しく厳しい頼れるオバサンて感じだ。
今日もちょっとした言葉遊びを挟んでみんなを笑わせ、気持ち良く解散となった。


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