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  □数行毎の空白行は、読みやすさのためで、他意はありません。

22 キイボード

次の日、朝会の準備室に、仁保子が小ぶりのキイボードを持って入ってきた。
「三十七鍵だけど、とりあえず練習用には良いかなと思って、持ってきたの」
普通のピアノは八十八鍵で七オクターブとちょっとあるけど、三十七鍵は三オクターブなんだそうだ。
家には、他に六十一鍵と七十六鍵が1台ずつ、アップライトだけど生ピアノもあると聞いて、多佳子は、たくさんあって良いなあとため息をもらした。

仁保子はぷるぷると首を振って、
「あたしなんか、並ってところよ。ホント言うと、音楽部入って伴奏者を狙おうと思ってたのよ。
 そしたら、あたしより数段上手な人達がわらわらといてね。小学校のとき、ピアノコンクールの県大会で、あたしより上位だった人とかね。そういう人達はもう、環境のレベルから違うのよ。
 自宅に生ピアノが何台もあったり、フルコンを持ってたり、離れに完全防音練習室があったり、プロの演奏家についてレッスン受けてたり」

多佳子は目を丸くした。
それって、小学生のころからってこと?
フルコンサートグランドというのは、市民会館にあるような、共鳴胴が長い大きなグランドピアノで、一千万円以上するんじゃなかった?
日本、不況じゃなかったの?
嘘みたいな話。
この学校、お金持ちのお嬢様が多いとはいうけど、何だか信じられない。

とはいえ、親の経済力が子供の学力に大きく影響していることを、多佳子も感じている。
多佳子だって、高校受験に向けた学習塾に、親がどれだけの金額を投じてくれたことか。
塾なんかに行かなくても、志望校に軽々合格する、本当に頭の良い人もいないわけではない。
でも、どんぐりの背比べをしている多佳子たち程度では、塾で鍛えられたかどうかが、少なからず結果に影響してくる。
どこか釈然としないけど、教育もカネ次第のようだ。
自分はともかく、この学校にお嬢様が多いのは道理だ。

仁保子は、自分を並と言ったけど、多佳子から見たら十分お金持ちのお嬢様だ。
それに、小学生のころとはいえ、ピアノコンクールの県大会まで出場した経験がある上級者みたいだ。
多佳子たちに混じってて良いのだろうか。
いや、そう言うなら、季依も文乃もかなりのレベルだ。
多佳子だけが、初心者のみそっかすではないか。

どんより落ち込む多佳子に気づいた様子もなく、仁保子は、机の上に置いたキイボードに電源をつなぎ、試し弾きを始めた。
「コイツ、なかなか芸達者で」
弾き始めると、ピアノの音だ。
多佳子の耳が肥えていないせいか、電子楽器とは思えないくらい良い音。
ちょっとスイッチをいじって、もう一度弾くと、今度はビブラフォンだ。
他にも管楽器や弦楽器、何だか聞いたこともないような音色まで。

「わあ、ほんと、すごい」
多佳子が褒めると、仁保子は嬉しそうに笑った。
「今どき、キイボード一台あれば大抵の音が出せるから、きっと、いろいろサポートできるよ」
その顔が、すっと真顔になる。
「音楽部の伴奏者って、学年ごとに二、三人入るんだけど、あの人たちと比べられてもなあ、って思ったら、テンション下がっちゃって。
 あたしだって、四歳くらいからピアノ習ってるんだけどね。」

キイボードの話から、仁保子自身の話に戻っている。
あの人達、というのは、今年音楽部の伴奏者になった生徒たちか。
「音楽部行くでもなく、家に帰るでもなく教室でぶらぶらしてたら、お隣から楽しそうな音が聴こえるじゃない。
 それから毎日聴きに来たのよ。ホントに楽しそうだった。一緒にやりたくなった」
一拍措いて、ぺこりと頭を下げる。

「図々しく声をかけたのに、仲間に入れてくれて、ありがとう」
「なーに言ってんのよ。所詮高校のクラブなんだから、もっと気楽に行こうよ」
季依が仁保子の背を叩く。
「仁保子みたいな人が加わってくれて、感謝してるのはこっちよ。ピアノのアレンジ、期待してるよ」


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