≪器楽部第二器楽班≫  ■back 
  □数行毎の空白行は、読みやすさのためで、他意はありません。

09 ハハとお父さん

家に帰ると、母と妹が、「なあにそれ」と興味深々でギターケースを指差した。
「友達のとこ寄って帰る」としか電話してなかったので、夕飯を食べながら、放課後の顛末を話した。
母は食事を中断して、季依の家にお礼の電話をかけた。
初めて言葉を交わすはずなのに、季依の母と話が合ったのか、ひとしきり笑い声を上げた後、受話器を置いて席に戻った。

「太刀掛秀子かー。覚えてるよ。ハハも小学生の頃、コミクス借りて読んだよ。結構好きだったな」
多佳子の母は、娘たちの前で自分のことを「ハハ」と言う。
だから多佳子も妹も、母を「ハハ」と呼ぶ。
もともと「お母さん」と言う習慣がないおかげで、他の人の前で母親のことを「お母さん」と言ってしまう恥ずかしい経験はないのだけど、喜ぶべきなんだろうか。

「わー、懐かしいー」
夕食後、母は黄ばんだコミクスをぱらぱらめくりながらはしゃいだ。
「へえー、トマちゃんのギター、立派だねえ」
ハードケースの中のギターに、感心することしきり。
「トマちゃん」だなんて、会ったこともないくせに妙に馴れ馴れしい。
うちのハハだから、しかたないけど。

「で?多佳子はその第二器楽班でギターをやってくことにしたのね。
 ちょっと、そのトマちゃんが作った歌、ハハにも聴かせなさいよ」
母のリクエストで「ほろほろ花の散る中で」をお披露目することになってしまった。
クラリネットを吹いていたおかげで楽譜はかろうじて読めるけど、コードはまだ自信がない。
一小節に一回ずつコードを弾き下ろしながら、さっき聴いたばかりの歌を歌ってみた。

「いいじゃんいいじゃん。多佳子の歌声もなかなかだねえ」
母は、拍手しながらニコニコと褒めた。
実の娘にお世辞言ってどうすんだ。
「うちにも、チチのギター、あるはずだよ。帰ってきたら訊いてみよう」
「え?お父さんがギター持ってるの?」
初耳だ。

「あれでも昔は人並みだったんだよ」
いや、今も人並みでないなんて思えないけど。
ハハに比べたら、むしろフツーに人並み過ぎるくらい人並みなんじゃないかと思ってるんだけど。
多佳子がお風呂から上がった頃、父が帰って来た。

父のことは「お父さん」と呼んでいる。
「ハハ」と釣り合わないけど、むしろこっちがフツーだろう。
ギターのことを訊くと、二階へ上がって行って、納戸の奥をごそごそ探し始めた。
やがて、黒いハードケースを下げて、居間へ降りてきた。
開けてみると、季依のに比べれば、ごく普通のフォークギターが納まっていた。

でも、弦や金具が錆びている。
ケースの中もかび臭い。
「よろしくないなあ」
父は独り言のようにつぶやきながら、ギターを手に取った。

「ありゃ、もうダメかな。ネックが曲がっちまってる」
多佳子には良くわからないが、あまり健全な状態ではないらしい。
「多佳子が本当にバンドをやりたいなら、今度、新しいギターを買いに行こう」
「え?いや、いいよ。トマちゃんのを借りてやるつもりだったんだから。入学祝いにパソコン買ってもらったばかりだし」

「誰が買ってやるって言った?俺が自分のを買い換えるんだ。使わないときは多佳子に貸してやっても良いけど」
「お父さん…」
素直じゃないけど、泣ける話じゃないの。
ほんっと、娘に甘いんだから。


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