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  □数行毎の空白行は、読みやすさのためで、他意はありません。

08 物理学

「じゃあ、もっと戻って理科の時間。モノコード、覚えてる?」
「何となく」
「弦楽器は要するにアレと同じよ。真ん中を押さえると、弦の長さが半分になって、音はオクターブ上がる」
「は?」
「三分の一のところをところを押さえると、…ギターだとちょうど七フレットのとこ…ソの音になる」
「へ?」

「ハはC、へはF、って、しゃれてるつもり?」
「いやいや、モノコードね、ええっとモノコードか…楽器って理科だったのね」
「そうよ、楽器はバリバリの物理学よ。管楽器だって音の高さの原理は同じ。
 あんたの大事なクラなんか、世にも珍しい閉管楽器なんだから」
「へ?な、何それ?」
別に、大事なって言われるほどのものでもないんだけど、ヘーカン?何?

「フルートやサックスは、オクターブキイでオクターブ上がるけど、クラはレジスターキイで十二度上がるでしょ。
 ま、閉管、開管なんて、中学の理科じゃ出てこないけどね」
季依はぺろりと舌を出す。
「トマちゃんすごいー。あたし、理科は全然ダメだから、落ち込んじゃうなあ」
「良くうちの高校受かったわよね」
「そこまで言うかーー」

「落ち込んでて良いから、練習しよう。
 これにU、V、YのマイナーとV、Xのセブンスを覚えれば、ほぼどんな曲でもこなせるよ」
「えー、そんなにたくさんー?」
「はい、まずハ長調のYのマイナー、Amからね」
「ひーー」

しばらくコードの練習をした後、季依は、古びたコミクスと手書きの楽譜を引っ張り出した。
「実は、さっそくバンドでやってみたい曲があるねん」
「何、急にエセ関西弁になってるのよ」
「えへへ、ちょっと照れくさくて。これなんだけど」
漫画のタイトルページを開いて見せる。

「〈ほろほろ花の散る中で〉?何やカッコええやんか」
「真似しないでよ」
ぷっとふくれてから、
「この漫画、母親の本棚にあったんだけど、出てくる歌が気に入っちゃって。曲をつけてみたの。聴いてくれる?」

季依は、エレキギターを脇のスタンドに立て、多佳子からアコースティックギターを受け取ると、楽譜を広げて歌いだした。
〈好きだとひとこといえないうちに…〉と始まる歌詞。
「へえ…いいじゃない。で?一番しかないの?」
「うん。作中にはここまでしかないの」
「ふーん。ほんとにバンドで演奏するなら、もっと長い方が良いと思うけどな。」

夕飯も食べて行けば、という誘いを断って、おいとますることにした。
ギターのハードケースに、コミクスと楽譜も、借りて入れる。
季依のお母さんが、本当に自家用車で送ってくれるという。
緑色の、丸っこいかわいい車には、季依も一緒に乗り込んだ。

「吉田さんが一緒の高校で良かったわ。仲良くして頂戴ね。この次は夕飯もご一緒してね」
道すがら、季依に良く似た元気なお母さんは、明るい笑顔を見せてくれた。
家のまん前まで行くと、大げさなことになりそうだったので、小路の入り口で降ろしてもらう。
お母さんに丁寧に頭を下げ、季依には「明日またねー」と手を振って別れた。


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